輝水会 誕生ストーリー

輝水会 誕生ストーリー

設立秘話

輝水会は、手塚と三嶋氏との出会いから生まれました。当時の出来事を思い浮かべながら、設立までの歩みをご紹介します。

■ 水中リハビリで運命的な出会い

手塚が三嶋氏と初めて会ったのは、北京五輪が開催された2008年のことです。
ある日、知人のリハビリテーション科医から「私の患者さんが水泳のお披露目会をやるんだけど、見に来ませんか?」とお誘いを受けました。当時の手塚は、フリーの水泳インストラクターとして30年以上キャリアを積み、多くの方を教えていました。その中に、脳血管障害で片麻痺の藤田勝枝さん(以下、「藤田さん」)がいて、試行錯誤していた頃。少しでも教えるヒントになればと思い、そのお披露目会に参加したのです。

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プールに現れたのは、50代の男性。3年前、脳出血を発症し、言語障害、右片麻痺の後遺症が残り、水泳を始めたのも発症後と聞いていました。プールは25mのコースです。“さすがにこの距離は難しいのでは・・・”。ところが、インストラクターのサポートを受けながらも、クロール、平泳ぎ、背泳ぎ、そしてバタフライ、なんと4種目も次々と泳ぎ切ったのです。お披露目会という言葉は、決して大袈裟なものではありませんでした。私は予想外の光景に驚き、楽しそうに泳ぐ男性の姿に目が釘付けになりました。
その男性が、三嶋氏でした。

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■ 「やっぱり水泳!」にたどりつく

三嶋氏は、東証上場会社の筆頭監査役まで務めていた法律の専門家でした。それが罹患後は一転、運び込まれた救急病院の医師から「社会復帰は望めない」とまで言われ、一時は絶望感に苛まれていました。その後「水との出会い」を経て、1年かけて徐々に泳げるようになりました。手塚が出会ったのは、三嶋氏がもう一度自らを奮い立たせ、気力を取り戻しつつある頃でした。

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一方、私は、三嶋氏と同じ障害のある藤田さんに水泳を教えるのを躊躇していました。片麻痺のある人の水泳指導するのは初めてで、最初の講習で嚥下の問題から息継ぎがうまく行えなかったこともあり、不安や怖れを感じるようになりました。“相手は大病後のリハビリ中。もしものことがあったらどうしよう”と。そのため、水中歩行やトレーニングなどに終始し、水泳指導に踏み出せないでいました。

しかし、三嶋氏と出会って、モヤモヤしていた頭の中が一掃されました。

“やっぱり水泳に挑戦するべきだ!”。

歩行を何度繰り返していても訓練の一環。泳ぎというスポーツの要素を取り入れることで、楽しみや達成感を得られるし、三嶋氏のようにもう一度輝くことができる。私の役割はそこにこそある。藤田さんの講習でも、細心の注意を払いながらも積極的に水泳を取り入れることにしました。

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■ 一本の電話が大きな転機に

その後、手塚は三嶋氏の水中リハの担当にもなり、スポーツがいかに彼の人生に影響を与えたか、と同時に障害を取り巻く課題を知ることになりました。障害のある人等がスポーツをしたいと考えても、受け入れる場所やスポーツクラブは極めて限られていたのです。
手塚は水泳インストラクターとして自らの針路を模索していた時期。今までは「泳げるようになってありがとう」と言われることで満足していました。しかし、障害のある人等を教えるようになって、違う言葉を聞くことが増えました。スポーツをすることで筋力が上がり、たとえば今まで開けられなかったドアが開けられるようになる。外に出ようと積極的になる。自分に自信がつき、もう一度挑戦しようと気力が高まる。「泳ぐことで人生が変わった」と言われるようになりました。二つの道があるなら、後者を選びたいと思うようになったのです。

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そんなある日のことです。手塚は本業の傍ら義父の会社の仕事にも携わり、NPOの立ち上げ業務を依頼されました。といっても、まったくの門外漢。法律上の知識や申請の手続きもわからず、途方にくれていました。そこで思い出したのが三嶋氏です。“そうだ! 法律の専門家だったらきっと詳しいはず”。手塚は早速携帯電話で三嶋氏に電話しました。三嶋氏は手塚からの電話にとても驚いたそうです。あまりに不躾だからでしょうか? いえ、別の理由からでした。

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■ すべての人が輝くために

後で知ったのですが、三嶋氏は仕事を失い落胆していた時期だったそうです。そんなとき、手塚からの電話があったのです。三嶋氏が驚いたのは、手塚が私を障害者だと遠慮することなく普通に相談してきたことでした。相談内容は三嶋氏にとっては簡単なことでしたが、「私を頼る人がいて、ここまで喜んでくれるとは思わなかった。まだまだ、社会に役に立つことがある」と感じ、この出来事が社会復帰に向けた自信と勇気を与えたそうです。

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手塚は三嶋氏に助けられ、三嶋氏は再起の動機づけになりました。どちらかだけが「支援する側」「支援される側」の関係ではありません。障害のある人等が自らの意思で参加し、対等な人間関係の中で生きがいを見つけられる。リハビリテーションのさらに先にあるモノへ、スポーツを通してそんな場を作りたい。今まで漠然と考えていたことが、次第にカタチになってきました。三嶋氏に相談すると、その考えに共感いただき、個人会社を立ちあげることをアドバイスされました。手塚もビジネスパートナーとしては、この人しかいないと決断しました。そして2012年、三嶋氏を監事(後に理事、経営委員長)に迎え、一般社団法人輝水会を立ち上げたのです。彼との出会いがなければ、輝水会は生まれなかったでしょう。

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ちなみに「輝水会」の名は、三嶋氏の命名です。自らの経験から「水で再び輝く人生を送ってほしい」という願いから名付けられました。すべての人が輝くために。それが私たちの原点です。いつも、その想いを胸に行動しています。

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