ナラティブ~当事者からの発信~

ナラティブ
~当事者からの発信~

ナラティブ 当事者自身が語る物語

ナラティブ
当事者自身が語る物語

ナラティブ(narrative)は、一般に「物語」と訳されています。当法人では、このナラティブを「当事者が自ら語る物語」と定義しました。
たとえ障害の名称は同じでも一人ひとりに目を向けると、100通りの「障害」(後遺症)があることがわかります。
「障害」そのものについては、まだまだ正しく理解されていません。そのため当事者の体験や語りが重要となります。当事者の語り「ナラティブ」への関心こそが、障害の存在に注目する重要なカギになります。
それぞれ違った「物語」が、正しい「障害」の理解につながっていきます。

■ナラティブとは

当法人が志向する「ナラティブ」=「当事者の語り」とはどういうものであるのか、また障害に対する正しい理解を得る上で当事者が自ら語ることがいかに大切なことであるのかをお伝えします。

水で輝く私

■ 第四回:実方 裕二 氏

初めての水中体験

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実方 裕二(じつかたゆうじ)

1960年⽣まれ。「こんにちは 誰でもスペース 発信基地 ゆうじ屋」経営
障害者施設を中から変えるためにNPO法人副理事長、ヘルパー事業所初任者研修の講師、普通学校での訪問授業等の活動を担う。

実方 裕二(じつかたゆうじ)

1960年⽣まれ。「こんにちは 誰でもスペース 発信基地 ゆうじ屋」経営
障害者施設を中から変えるためにNPO法人副理事長、ヘルパー事業所初任者研修の講師、普通学校での訪問授業等の活動を担う。

■ 第三回:中辻 顕章 氏

水の中ではアスリート(インタビュー)

少年野球以来の体育会経験からトレーニングすることが苦にならないため、輝水会のアビリティエクササイズ®だけでなく、VRを使用した脳機能の調整トレーニングやAIロボット制御のパワードスーツを利用したトレーニングなど、諦めないリハビリテーションに取り組んでいます。
【協力】

中辻 顕章(なかつじけんしょう)

1974年⽣まれ。43歳の時に脳出血を発症。高次脳機能障害、左片麻痺。発症後、車椅子生活を覚悟する旨の診断を受けるも、輝水会と出逢い、アビリティエクササイズ®に取り組む。VRを使用した脳機能の調整トレーニングやAIロボット制御のパワードスーツを利用したトレーニングなどにも取り組み、現在も諦めないリハビリテーションを実践しています。

中辻 顕章(なかつじけんしょう)

1974年⽣まれ。43歳の時に脳出血を発症。高次脳機能障害、左片麻痺。発症後、車椅子生活を覚悟する旨の診断を受けるも、輝水会と出逢い、アビリティエクササイズ®に取り組む。VRを使用した脳機能の調整トレーニングやAIロボット制御のパワードスーツを利用したトレーニングなどにも取り組み、現在も諦めないリハビリテーションを実践しています。

■ 第二回:井筒 紫乃 氏

(オンラインインタビュー)

プール体験を通じて、泳ぐこと、身体を動かすことの喜びを再発見。井筒先生ご自身が身をもって痛感なさった「レジリエンス(心の回復)」の大切さをお伺いました。

井筒 紫乃(いづつしの)

1962年⽣まれ。日本女子体育大学教授。
発症後、障害者の自分を受け入れられなかった時期にボッチャイベントに参加し、障害があってもスポーツ参加できることを発見。リハビリにも前向きに取り組み、2019年10月に復職。

井筒 紫乃(いづつしの)

1962年⽣まれ。日本女子体育大学教授。
発症後、障害者の自分を受け入れられなかった時期にボッチャイベントに参加し、障害があってもスポーツ参加できることを発見。リハビリにも前向きに取り組み、2019年10月に復職。

■ 第一回:祝部 英明 氏

(オンラインインタビュー)

数十年ぶりのプール体験を通じて祝部さんが感じたこと、気づいたこと、見つけたことを率直に語らいでいただきました。

祝部 英明 (ほうりひであき)

1964年⽣まれ。元建築コンサルタント。
現在は、高次脳機能障がいの当事者のグループ「出雲縁ing(エニシング)トークの会代表として精力的に活動中。

祝部 英明 (ほうりひであき)

1964年⽣まれ。元建築コンサルタント。
現在は、高次脳機能障がいの当事者のグループ「出雲縁ing(エニシング)トークの会代表として精力的に活動中。

三嶋完治氏 特別編

■ 私の障害に打ち克つ「からくり」について

(オンラインインタビュー)

当法人の現経営委員長である三嶋先生に、脳出血に罹患し失語症と右片麻痺の後遺症を負った後、いかにして自身の障害と向き合い打克ち、学びと新たな挑戦を得たのか、その経緯等をお伺いました。

三嶋 完治(みしまかんち)

1956年⽣まれ。法務博士(専門職)。
発症後、プールを通じて手塚由美と出会い、非営利型一般社団法人輝水会を共同で立ち上げる。現在は独立した見地から法人運営に対して法律・倫理面の助言の役割を担っている。

■ 新たなチャレンジで輝く私

 発症後18年目の諦めない取り組み

発症後18年経過しても現状に甘んじることなく、諦めずたゆまず取り組むを三嶋完治先生の新しいチャレンジをご紹介いたします。
協力:

三嶋 完治(みしまかんち)

1956年⽣まれ。法務博士(専門職)。
発症後、プールを通じて手塚由美と出会い、非営利型一般社団法人輝水会を共同で立ち上げる。現在は独立した見地から法人運営に対して法律・倫理面の助言の役割を担っている。

三嶋 完治(みしまかんち)

1956年⽣まれ。法律の専門家。
発症後、プールを通じて手塚由美と出会い、非営利型一般社団法人輝水会を共同で立ち上げる。現在は独立した見地から法人運営の監督、助言の役割を担っている。

ボッチャで輝く私

■ 大場 雄二 氏

(インタビュー)

高次脳機能障害を発症後、左半身麻痺に強い絶望感を持ち引き籠りがちでしたが、ボッチャと出会いスポーツの楽しさを知って、障害を受容しつつ打ち克つことができたこと、仲間たちと分かち合う歓びを取り戻した経緯をお伺いしました。

大場 雄二(おおばゆうじ)

1955年⽣まれ。

大場雄二(おおばゆうじ)

1955年⽣まれ。

■ 宮田敏男 氏

(インタビュー)

高次脳機能障害を発症後、左半身麻痺に強い絶望感を持ち引き籠りがちでしたが、ボッチャと出会いスポーツの楽しさを知って、障害を受容しつつ打ち克つことができたこと、仲間たちと分かち合う歓びを取り戻した経緯をお伺いしました。

宮田敏男(みやたとしお)

1955年⽣まれ。世田谷区公立小学校教諭として算数少人数指導等に長年従事。発症後、友人の紹介で輝水会の自主活動に参加し、ボッチャと出会う。「出来ることは独力でやる」「できることを増やす」をモットーにして、ボッチャ世田谷カップにも出場。

宮田敏男(みやたとしお)

1955年⽣まれ。世田谷区公立小学校教諭として算数少人数指導等に長年従事。発症後、友人の紹介で輝水会の自主活動に参加し、ボッチャと出会う。「出来ることは独力でやる」「できることを増やす」をモットーにして、ボッチャ世田谷カップにも出場。

あなたにも出来る楽しいチャレンジ

■ Kakkoさんの左手料理:藤田 勝枝 氏

 料理の愉しみを取り戻すために

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藤田 勝枝(ふじたかつえ)

19xx年⽣まれ。

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